【とと姉ちゃん】ヒロインのモデル大橋鎭子の生涯

2016年4月4日スタート、NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」ですが、ヒロインの小橋常子にはモデルが実在しています。

「戦後の一般人の暮らしを豊かにした」とのことで、東京都文化賞受賞を受賞した「暮らしの手帖」創業者の大橋鎭子さんです。

とと姉ちゃんはフィクションドラマなので細部は創作ですが、大まかなストーリーは大橋鎭子さんの生涯を反映させるようですね。

今回はヒロイン・小橋常子の実在モデル、大橋鎭子さんの生い立ちや生涯と、とと姉ちゃんのあらすじをご紹介します。

ドラマ顔負け、波乱万丈な生涯

大橋鎭子さんは、日本製麻勤務の父と主婦の母のもとに、大橋家の長女として生まれます。

父は大橋鎭子さんが1才の時肺結核になり、家族の必死の看病も虚しく、大橋鎭子さんが小学5年生の時に亡くなります。

父の喪主は、当時11歳の大橋鎭子さんが務めました。

現・東京都立三田高等学校に入学し、のちに一緒に会社を起こす石井好子さん(「とと姉ちゃん」の中田 綾のモデル)と出会います。

卒業後、日本興業銀行に就職しますが3年で退職。

その後、日本女子大学に入学すると1年で肺結核となり、学業を断念せざる終えなくなります。

療養したのちに日本読書新聞に入社し、その際に、花森安治(「とと姉ちゃん」の花山伊佐次のモデル)さんと知り合います。

日本読書新聞退職後、花森さん、大橋鎭子さん、大橋晴子さん(大橋家次女で繭子のモデル)芳子さん(大橋家三女で美子のモデル)と横山啓一さんで、現・暮しの手帖を設立して雑誌『スタイルブック』を創刊します。

その後、社長を妹の息子の妻に譲り社主となりますが、2013年3月23日午前8時37分、肺炎のため93歳でお亡くなりになりました。

ドラマ顔負けの波乱万丈な人生ですね。

ご結婚はされていないようですが、とと姉ちゃんでの恋愛面はどのように創作を加えていくのでしょうか。

とと姉ちゃんのあらすじ

戦前、ヒロイン常子は両親を「とと(父)」「かか(母)」と呼びながら、妹2人と5人家族で幸せに暮らしていましたが、常子が12歳の時に父が結核にかかって亡くなってしまいます。

責任感の強かった常子は、小橋家の家長になることを決め、「とと(父)姉ちゃん」となり妹たちの面倒を見、家族で支え合います。

その後戦争を目の当たりにした常子は、女性が不自由を強いられている現状に嘆き、女性のための雑誌を創刊しようと決意し、妹たちと起業します。

素人同然の常子たちでしたが編集者・花山伊佐次のバックアップで、雑誌「あなたの暮らし」を世に送り出します。


フィクションといえど、話の大筋はあまり手を加えられていないようですね。

大橋鎭子さんの波乱万丈な人生が繰り広げられる「とと姉ちゃん」。

お楽しみ下さい。

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